シリーズでお伝えする『国語の先生がオススメする1冊!』
第二回は、悩める若者に読んでもらいたいこちらの1冊をご紹介!
目次
哲学はどのように役に立つか。「哲学は世界の根本原理を明らかにしようとする営み」だと苫野は言う。
確かに哲学は自分自身の深いところにあって、世の中にあふれている大量の情報や意見を自分がどう判断するかの判断軸の役割を果たしてくれる。
情報が氾濫する今の時代に、確かに哲学は役に立つ。
しかし、そんなことを言う必要もないくらいこの本は面白い。
『子供の頃から哲学者』の著者、苫野一徳くらい自由奔放に悩んだ人も珍しい。頑固で人を寄せ付けず、それでいて人に認められたくて、孤独なのに人を巻き込んで振り回し、宗教を作り躁鬱になる。そういった経験の中で考えてきたことが哲学に収斂していく。
この本ほど赤裸々に自分自身の過去をさらけ出した哲学入門書も珍しい。この本を読むと、自分ももっと悩みたいと思えるはずだ。悩みがあるからこそ、その悩みを乗り越えた先にしか見られない世界がある。
悩みを悩みに終わらせず、哲学の材料とするのが解決への第一歩である。
悩みを持つ人は、いっそとことんまで悩み抜こう。どうせ悩みを持っているのなら、その悩みを将来に活かせるように考え抜いた方が得だ。悩みというのは、実はそのまま放っておけばそのうち解消する。若いころどんなに悩んでも、時間がたてば諦めや達観、悟った気になって、実は何も解決していないのに「そんなことで悩んでいた時期もあったね」という大人になっていく。
そんな大人になって振り返ると、高校生の頃に心の底からなんとかしたいと思って悩んだことが、実に子供っぽくつまらないことに感じて見える。
これは実は今悩んでいることは大人になったらもう考えることのできない、実感を持てないものへと変わってしまうということだ。なんてもったいないことだろう。
そうなってしまってはもう今の悩みを悩む自分には戻れない。そんな大人になってしまう前に今の悩みについてしっかり考え抜いておいたほうがいい。今しかその悩みを解決できる時間はないのだ。
人の悩みは数多くあるけれど、ほとんどの悩みは深いところでつながっている。悩みに悩んで、その悩みに解を見出した人は、自分の他の悩みにも、他人の似たような悩みにも、もしかしたら解をあたえられるかもしれない。
大事なことは、悩みの本質的な部分にまで踏み込んでいくこと。言い換えれば哲学的に考えることで悩みに解を与えることが大切だ。
その悩みを引き起こしているものはなんなのか、なぜ自分はその問題に悩んでいるのか。
自分はなぜ彼女ができないのか悩んだことがある。モテたい。モテるとは何か。なぜ自分はモテたいのか。そういったことの本質を大真面目に追求する方がいい。
例えば、男子高校生が「なんで自分はモテないんだろう」という悩みを持ったとする。
男子高校生の悩みは大体そんなものだ。
そんな時に具体的にどうやったら持てるかという解決策に走るのも悪くはない。
でも、その欲求が「多くの女性から男性として魅力ある存在だと思われたい」なのか「本能に根差した生殖欲求」からきているのか、それとも「他の男性よりも優秀であるという比較優位のために女性からの支持という指標を求めている」のか。「多くの男性から支持を集める女性に支持されることによって自分の優位を確かめたい」のか。「自分の好意を寄せる女性に理解され承認されたい」のか。そもそも「自分のことを深く理解してくれる存在を求めている」からなのか。
なんてことを考え始めると哲学的になっていく。
「愛する対象や愛される対象は偶然その時に近くにいた人の中から選ぶ」のか、それとも「運命の人が存在しその人と出会うようになっている」のか。「複数の人を愛することは間違いなのか」といったことを考え始めると、だんだん本質に近づいていく。
「人が人を愛するのはなぜなのか」
「愛とは何か」
こんなことを言い出したら立派な哲学徒である。
もし「愛とは何か」について答えを出せたなら、世の中に氾濫する数多くの情報や意見について自分なりに判断を下せるようにならないだろうか。
モテたいのにモテないという悩みを持つなら、どうせならこんなことまで考えたい。
「哲学する」とは、世界観を作る営みだ。自分自身と、自分を取り巻く世界と向き合ってとことん考え抜く。そうやって作り上げた世界観は自分の軸となって、将来の悩みに対する自分の判断軸になる。この軸を自分の悩みから作り上げたなら、しなやかでブレない人になる。
悩め。しかして思考せよ。
実は、苫野は『愛』(講談社現代選書)という本も書いている。どうせなら自分で考え抜いてみてから併せて読んでみてはどうだろうか。